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商品詳細【真筆】★狩野周信★ 寿老人鶴 三幅対 掛軸 肉筆絹本 江戸中期 狩野派 検)雪舟 狩野探信 狩野元信 狩野正信 狩野永徳 狩野山楽 狩野光信 織田信長 豊臣秀吉 尾形光琳 狩野山雪 長谷川等伯 徳川家康 狩野尚信
◆肉筆絹本
★真作保証のお品物です。
(真作・本物保障の物に関して、公的機関にて証明がされた場合につきましては、返品・返金に応じます。)
【サイズ】
全体寸法:176cm x 46cm
【状態】
古いものの為、経年の傷みが見られます。ご了承の上でご入札下さいますよう、お願い申し上げます。
※詳細につきましては、画像にてご確認下さい。
★狩野 周信★(かのう ちかのぶ、万治3年7月2日〈1660年8月7日〉 - 享保13年1月6日〈1728年2月15日〉は、日本の江戸時代前期から中期にかけて活躍した絵師。江戸幕府に仕えた御用絵師で、最も格式の高い奥絵師4家のひとつ木挽町狩野家の3代目。幼名は生三郎、初名は右近で、如川、泰寓斎と号した。父は狩野常信、弟に狩野岑信、子に狩野古信がいる。
常信の長男として生まれる。延宝6年(1678年)19歳の時、4代将軍徳川家綱にお目見え。宝永7年(1710年)10人扶持を受け、正徳3年(1713年)に常信が没したため跡を継いだ。享保4年(1719年)法眼に叙せられ、中務卿と称する。『徳川実紀』「有徳院殿御実紀附録」には、「養朴うせぬる後は、其子如川周信を召して、常にとひはからわせ玉ひしが」とあり、常信没後、有徳院・徳川吉宗の絵画指導をしていた。一方、将軍の寵愛は周信に慢心を生んだらしく、湯浅常山が纏めた『文会雑記』には、弟子の長谷川如辰の言葉として「近頃周信が書崩して、埒もなき絵になりたるは、最早我を圧す絵はなきと云ひ誇る心より、大事の戒を忘れて、散々のことになりたると也」といった悪評も伝えられる。享保13年(1728年)69歳で没。
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